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【参・採用情報】H1

採用情報

イントロダクション

ジッピー・プロダクションでのキャリア形成についてご案内します。

プロデューサー:本橋由美子

プロデューサー

AD
アシスタント
ディレクター
1年目
1年目イメージ
ChiefAD
チーフ
AD
2年目
2年目イメージ
AP
アシスタント
プロデューサー
3年目
3年目イメージ
P
プロデューサー
4年目
4年目イメージ

1998年入社

本橋由美子

(プロデューサー)

本橋由美子

担当番組
1年目(AD) テレビ東京 特別番組
2年目(チーフAD) テレビ東京「クイズところ変われば」
3年目(AP) 日本テレビ「行列のできる法律相談所」
4年目(P) テレビ東京「ペット大集合!ポチたま」

Q1.何故ジッピーを希望したの?

本橋由美子01

元々ドキュメンタリー番組を作りたいと思ってテレビ制作会社を希望していました。
当時はNTV「スーパーテレビ」などドキュメンタリーを中心に制作している会社が「ジッピー」だと知り、「ここしかない!」と心に決め、ジッピー以外の制作会社は受けなかった記憶があります。
でも今は、がっつりバラエティ!!やってますけどね。笑

Q2.正直、会社を辞めたいと思った事は?

入社してからADやっていた約3年間はしょっちゅう。
番組の放送日直前になると、家に帰れないこともしばしば・・・
眠いし、最初のうちは分からないことばかりなので体力的にも精神的にもしんどかったですね。
【こんな思いしてまでやらなくちゃいけないことなんて、ある?】となってくるわけですよ。

ある日、先輩プロデューサーに相談したところ・・・「辞めるのはいつでもできる。でもお前は一つでも自分だけで何かやれたの?まだやれてないのに、辞めるって格好悪くない?どうせ辞めるなら一人前にやれるようになってからでも遅くないと思うよ」と。
この言葉に「ハッ!」とし、何かスイッチが入った瞬間でした。

無事OAが終われば、いつもご飯に連れて行ってくれたり、心配してくれたり・・・
そんな先輩達のおかげで、今では15年プロデューサーやってますね!

Q3.APからPになれたきっかけは?

そんなスイッチの入った私は、とにかく早くプロデューサーになりたかったので、通常は企画を通したい場合は自分の上司であるプロデューサーと一緒に持参するところ、自ら単身で局にプレゼンしに何度も通い自分をアピールしてました。

ある日、その熱意を買って頂けたのか、特番のお仕事を直接発注して頂けることに!
それがPとして独り立ちできたきっかけでしたね。仕事は与えてもらうものではなく、自ら取りに行け!笑

Q4.今までの仕事で一番楽しかったことは?

MBS「情熱大陸」の“水中写真家”を密着するため、ケープタウンの海でサーディンラン(イワシの大群)を撮影するロケに行った事!
毎朝6時~日が落ちる16時位までひたすら船上だったのはちょっとしんどかったですが、そのかわり何千頭ものアシカやクジラ、更にはイルカやペンギンの群れに出会えた時は感動でした。
プライベートでは、決して行けないような場所で貴重な体験ができるのはホント、この仕事ならではだと思います。

Pとして同行したのでスタッフ、取材者に怪我や事故がないよう気を配る事と、撮影対象が自然相手なので日にちを伸ばす伸ばせないなど、予算と戦いながら(!)ロケをしたのは忘れられない仕事の一つです。

Q3.今までの仕事で一番辛かったことは?

ディレクターとして仕事を始めてから初の海外(韓国)ロケに行ったときの事です。
タレントさんと”美容を極めるロケ“で1泊2日という短い期間でしたが、前日まで頑張って交渉したお店や撮影アイテムがことごとく、取材NGとなってしまって。しかもロケ当日は焦ってウマく対応できずグズグズに・・・
帰りの飛行機の中では「このまま墜落してほしい!」と本気で思った位へこみました。結局、丸2日間ロケした素材はほとんど使えず。。。
でも今考えれば最初に失敗したことがすごく大きな経験になったと思います。

ディレクター:高梨智子

ディレクター

1年目イメージ
入社時AD
2年目イメージ
AD時代
3年目イメージ
チーフAD時代
4年目イメージ
ディレクター
5年目イメージ
ディレクター
6年目イメージ
ディレクター

2005年入社

高梨智子

(ディレクター)

高梨智子

担当番組
1年目(AD) テレビ東京「ペット大集合!ポチたま」
2年目(チーフAD) 日本テレビ「行列のできる法律相談所」
3年目(見習いD) 日本テレビ「行列のできる法律相談所
4年目(D) 日本テレビ「行列のできる法律相談所」

Q1.何故、ジッピーを志望しましたか?

高梨智子01

私は大阪出身で専門学校卒業後、テレビ業界への就職を考えていました。
周りの友人達は全員地元の制作会社に就職しましたが、私は絶対「テレビの仕事するなら東京で勝負したい!」と思っていたので、東京の制作会社をいくつか受けるつもりでした。
しかし、、、現実的に就職活動を始めたら東京のスケールの大きさにびびってしまい、「本当にこんな自分が東京でやっていけるのだろうか?」そう思い悩んでいた頃“ジッピー”の面接で(当時の)社長が“女性”だとわかりものすごい「安心感」と「親近感」を覚え「ここしかない!」と心に決めました。

Q2.AD仕事の楽しさとモチベーションの保ち方を教えて!

基本的にはロケなどのスケジュールに関してはADが仕切ります。ディレクターやカメラマンなどのスタッフに「この日までに資料を挙げて下さい!」「○時に出発しますので○時には集合して下さい!」などと、自分の采配で物事が動いていく感じがたまらなくて・・・
それが快感でしたね。「AD(私)がいないとロケが回らへん!」って。笑
それから、自分が苦労してリサーチで見つけたネタを、番組会議で発表した際に、総合演出や先輩D達から「これいいね!」と会議の話題の中心になり、それが後に放送できる企画となった時には清々しい達成感を感じました。

モチベーションの保ち方は、やっぱり同僚との「飲み会」でしょう!笑
毎日忙しいのは当たり前でしたが、気づけば夜中!なんて事もザラにあって、そんな時は残っているメンバーと「飲みに行こう!」となり、愚痴をこぼしながらもお酒飲んでストレス発散でき、とても楽しかったですね。今思えばその「飲み」を励みに辛くて苦しい時でも頑張れた気がします。

Q3.ADからディレクターになれたきっかけは?

とにかく、早くディレクターになりたいと思っていた私は、先輩Dが出社する前にこっそり自分で編集してみたり、再現VTR用にお芝居をつける勉強してみたり・・・
そんな努力はしていたつもりです。
また、当たり前かもしれませんが、私は常に、担当するディレクターが“どうすればいいVTRが作れるか?”“どうアシストすべきか?”と考えていたので、

上についたディレクターからは可愛がって頂けたと思います。

そのおかげなのか、ある日先輩Dに「面倒みてやるからVTR作ってみろ」と背中を押してもらったことをきっかけに、ディレクターデビューチャンスがきました。
忘れもしない、“NON STYLE”さんがM1で優勝した年、「行列ができる法律相談所」の収録に出演することが決まり、その紹介VTRを担当する事になったのでした。
そのVTRがOAされた時は、本当に嬉しかったのを覚えてます。
今でも仕事で辛くなったりしんどい思いを感じた時“NON STYLE”さんを見るとその時の嬉しかった気持ちを思い出し、初心に返りますね。

Q4.女性ディレクターだからこそ、苦労することは?

これは私だけ?か、女性には割と多いと思ってますが、なぜか「スポーツ」の話題に疎い!
「あの試合の、あのシーンでさー」だけで男性陣は「あーあれ、凄かったですよね」と会話の成立が早い!しかし私は全くついていけない・・・
なので番組ゲストにスポーツ選手が来て担当する場合は、もう、必死!いちから勉強です。
試合の歴史、ルール、伝説、名場面など・・・しかしいくら頑張って勉強しても、所詮は付け焼き刃。詳しい人達の足元には及ばず、みんなをびっくりさせるネタを生み出す事が出来ません。それが悔しいですね。

あとは忙しい時期になると、スキンケアが疎かになり、「肌荒れ」するのが辛いです。笑

Q5.この仕事をやっていて、一番の魅力は何ですか?

私がこの仕事で一番魅力的だと感じるのは“飽きない”事です。
自分の担当するネタが「絶対一番面白く、素敵になるように」をいつも心がけ、「負けたくない!」と周りと良い意味で戦っていることも“飽きない”事の一つですし、2度と同じ企画はなく、常に新しい事を探し挑戦しながらVTRを作る事が出来るこの仕事は、毎日が新鮮な気持ちで臨めるのです。
そんな素敵な仕事と出会えた事・・・感謝し幸せだなと常に感じています。

矢澤
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募集要項

アシスタントプロデューサー

1年目イメージ
AD時代 小道具作成
2年目イメージ
AD時代 衣装にて
3年目イメージ
チーフAD時代 編集
4年目イメージ
AP  ロケ
5年目イメージ
AP 社内作業中
6年目イメージ
AP 仕事紹介講演

2016年入社

矢澤永吉

(アシスタントプロデューサー)

矢沢永吉

担当番組
1年目(AD) TBSテレビ「犯罪列島」フジテレビ「おたすけJAPAN」
3年目(チーフAD) 日本テレビ「行列のできる法律相談所」
7年目(AP) TBSテレビ「ワールド極限ミステリー」

Q1. 何故ジッピーを志望したの?

就職活動の際に色々調べていたところ自分が好きな番組を多く制作しており、また、民放全局の番組を制作しているという所に魅力を感じ志望しました。

Q2. AD時代で一番達成感を感じた仕事は?

行列で自分が担当したVTRを演者さんが観て、手を叩いて笑っているのを見た時です!
ロケや編集で辛かったのが消え去りました!

Q3. AP(アシスタントプロデューサー)に転身しようと思ったきっかけは?

入社時は元々ディレクター志望でした。
しかしADを続けていく中で、ディレクターよりも、交渉や人とのつながりを武器に現場を支えるAP業の方が自身に向いている、
番組制作において貢献できると思ったのがきっかけです。

Q4. APの仕事で大切な事、今後の目標は?

正直AD時代は担当ディレクターのやりたいことを出来るだけ叶えるために、
予算面やコンプラ的な部分をそこまで意識していませんでした。
しかし今は予算・コンプラはもちろん、外部とのやりとりが多くなってきたので、
ルールの範囲内でちゃんと出来ているか、外部の方に迷惑を掛けていないかなど一層意識するようになりました。

今後は、「矢澤になら何を任せても大丈夫」と言われるよう、一つ一つの仕事をこなしていきたいです。

Q5. 自分のどんな個性がこの仕事に生かされてると思う?

やはり「矢澤永吉」という名前!
若い皆さんはもしかしたらご存知ない方もいるかもしれませんが、
私の父があの伝説のロックスター矢沢永吉の大ファンで、息子にそのまま名前をつけてしまいました。

社内はもちろん、他社や演者さん、ロケ場所の担当の方など外部の方にもすぐに覚えてもらえます。
名前きっかけで、コミュケーションが生まれるのでその後のやり取りがスムーズに行くことが多く、
現場で名前いじりされた際に現場間の雰囲気が良くなることがあります。